1前説
神のみぞ知るセカイは2008年から2014年に週刊少年サンデーで連載されており、全26巻刊行されました。ちなみにアニメも3期放送されており、当時のサンデーのヒット作品でした。
ジャンルとして分類するとラブコメですが、主人公がギャルゲーマーで、序盤はメインヒロインがいない形で進むのがこの作品の特徴です。
今回は神のみぞ知るセカイについて、紹介していきたいと思います。
1あらすじ
神のみぞ知るセカイのストーリーをまとめると大体こんな感じです。
○主人公である桂木桂馬は「ギャルゲー」が好きな高校生で、リアルの女性には興味がなく、ゲーム内の女性を愛している。
○桂馬はひょんなことから、駆け魂と呼ばれる封印された悪魔の魂を回収するため悪魔の少女エルシィと、自分の命を賭けた契約を結ばされていた。
駆け魂は人間の女性の心の隙間に入り込み、入り込んだ女性の子どもとして転生する。封印された悪魔たちは世界で暴れ回るため、女性の心の隙間を埋め(具体的に言うと、女性の悩みを解決する)、対処する必要がある。
○悪魔との契約が達成できなければ、桂馬は命を失うため、自らの愛するギャルゲーの理論を駆使し、恋愛で心の隙間を埋め駆け魂を回収していく。
読んでる時はそうは思いませんでしたが、文字にしてまとめてみると、桂馬はなかなか可愛そうですね。DMを読んだだけなのに、命賭けでやったこともない女の子の攻略をしないといけないんですから。エルシィはブチギレられても仕方がありませんが、どの道契約を全うしないと問題が解決しないので、合理主義者の桂馬はやむなく協力をしていきます。
2作品の特徴
(1)主人公がギャルゲーマー
オタクが主人公という作品は珍しくないですが、ギャルゲーマーという点を全面に押し出した作品は神のみぞ知るセカイくらいでしょう。
主人公である桂馬はそんじょそこらのギャルゲーマーではなく、ギャルゲーに人生を捧げ、テレビで特集を組まれるほどのインフルエンサーです。
ギャルゲーの攻略で鍛えた洞察力と計画性を駆使して、リアルの女の子を攻略していくというのは異種格闘技戦というかなんというか、那須川天心がボクシングに挑戦したらどうなるかという興味深さに似ています。
冷静に考えれば、世界一のギャルゲーマーが世界一女の子にモテるわけがないのですが、桂馬は卓越した頭脳とギャルゲー恋愛理論を駆使して、次々と登場する女の子を苦戦しながらも、攻略していく姿は痛快と言えます。
度々登場するギャルゲーあるあるに基づいた理論は、ギャルゲーマーならニヤリとするものばかりです。作者の若木先生自身が生粋のギャルゲーマーという点が生きているのでしょう。
また、ギャルゲー要素抜きにしても、桂馬は魅力的な主人公です。
リアルの女子に興味がないと公言しつつも、ストーリーからは情が垣間見え、社会性はなくと情け深いという興味深いキャラクターとなっています。
神のみの女の子ってギャルゲーのヒロインらしく明確な悩みを持ってるんですけど、その悩み自体は結構リアルなんですよね。
上級生を差し置いてレギュラーになって気まずいとか、学校では成績優秀だったのに社会では上手くできなかったとか、現実世界でも悩みそうなことなんですよ。
等身大の悩みに寄り添い、共に解決しようとする桂馬の姿は、ヒロインと共に私たちも励ましてくれます。
普段はリアルを遠ざけていても、ガチで困った人間を見たら何とか助けようとする姿はまさしくヒーローと言えるでしょう。
(2) リアルヒロインちひろを中心に構成された賛否両論のストーリー
神のみぞ知るセカイは、ギャルゲーらしく、アイドルやら女性棋士やら色々属性を持った女の子たちが話の性質上、次々と女の子が登場するんですよね。
そんな中で4巻に登場するちひろは作品全体の中でも重要な役割を果たしています。
ちひろというヒロインは他のヒロインと違って、特別な技能や立場があるわけではありません。桂馬の表現を借りれば、「中途半端なパラメーターのリアル女」です。
世の中誰でもスキルを持っているわけではないので、表現としてきついかもしれませんが、世の中の大半は「中途半端なパラメーターのリアル女」です。
普通のギャルゲーやラブコメであれば、ピックアップするキャラクターではありません。ちひろに重要な役割を持たせたというところが神のみぞ知るセカイという作品の大きな特徴だと思います。
ちひろはいわば現実の象徴みたいな女の子であり、ギャルゲー世界に没頭する桂馬にとっては対照的な存在です。ちひろ編の冒頭では、言い争いをしてしまうほどです。
ちひろ編では、争いは同じレベルのものでしか発生しないという台詞が出てきますが、逆説的に言うと、ちひろと桂馬の目線は同じということです。
ちひろはリアル寄りの女の子なので、ギャルゲー理論が通じない場面が多々ありました。ちひろの気持ちを読み間違え、自分に惹かれていることにも気づけませんでした。
女の子をギャルゲー理論に当てはめて攻略するということは、ある意味虚構の自分を好きにならせていることであり、女の子たちに対して不誠実という見方もあります。実際、桂馬もその点を気にしています。
ギャルゲー理論に捉われず攻略したちひろという女の子は桂馬にとって特別な女の子であり、ストーリーの中でも重要な役割を果たしていきます。
リアルを嫌う桂馬ではありますが、理論の外で攻略したちひろは特別な女の子であり、攻略した後も、何かと気にかけるようになります。
見た目はメインヒロインという感じではありませんが、ストーリーの上では平凡で現実的であるが故にはっきりとちひろは特別扱いされています。
ちひろを軸としたストーリー展開はよく構成されていて、読み終われば、好悪はともかくとして、納得感を得ることができるでしょう。
ただ、結末については当時賛否両論でした。ラブコメってどうしても誰とくっつくかで荒れちゃうんですけど、神のみもまあ荒れました。私は納得していますが、どうしても推しキャラに対する愛がありますからね。そこはしょうがないでしょう。
誰かを好きになると、失恋するというのは自然に起きうることです。打ちのされても立ち直るという点は人間の美点の一つだと思います。ラストシーンの描写は失恋無しには描かれることはなかったでしょう。報われなかったヒロインたちも桂馬との恋愛もそんなこともあったねと振り返れるようになるのだと思います。
とはいえ、賛否両論なので、めちゃくちゃ面白い漫画だと思いますが、絶対読んだほうがいいとは言えません。26巻も集めたとしても、期待に添えるエンディングになるか分かりませんし。
3 最後に
神のみぞ知るセカイは学園ラブコメというありふれた作品でありながら、他の作品にはないギャルゲーマー主人公とリアルヒロインを信じたストーリー構成という特徴を持っています。
この作品が発表された当時と比べ、ギャルゲーは衰退しましたし、結末も万人向けではありませんから、皆さんに絶対に面白いですよとお薦めすることは正直できません。
それでも、作中に登場するギャルゲー理論は突き抜けていてギャグとして面白いですし、等身大の悩みの描写から人間ドラマを味わうことができるでしょう。
週刊少年サンデーで26巻まで連載したこと、アニメを3期もやったことはこの作品の持つパワーと人気の表れでもあります。
どのような結末でも楽しめる方、ギャルゲーマーだった方、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。